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リトアニア滞在、最大の後悔

  • bohemianeugene
  • 8月23日
  • 読了時間: 3分
オープニングイベントの糊おきワークショップ
オープニングイベントの糊おきワークショップ

リトアニア滞在を終えて唯一悔やまれるのが、自分が個展をさせてもらった美術館にもかかわらず、ヤニナ・モンクテ・マークス氏を発見するのが遅すぎたことです。


滞在も残すところ2日となった個展の搬出の日に、館長アスタさんからヤニナ・モンクテ・マークス氏の図録を貸してもらうまで、私は彼女の作品にほとんど関心を払っていませんでした。

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(上写真は美術館ホームページより拝借)


というのも、美術館内で展示されていたのは初期の絵画作品が中心で、それは率直に言って拙さの残るものでした。「当時の女性にはこの程度の美術教育の機会しか無かったのだな」と残念に思いました。


また、それらの絵画は当時、彼女の移住先であるアメリカで流行していたポップアートの下手な焼き直しにしか見えませんでした。


今となっては残念なことに、その後の彼女の変遷に目を向けることもなく、わたしは他の著名なリトアニア人アーティストの作品を見るべく各地へ出掛けて行ってしまったのです。


(以下写真は全てヤニナ・モンクテ・マークス氏図録より)

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帰国の前日になってやっとヤニナ・モンクテ・マークス氏の図録を開き、目を開かれる思いでした。後年の版画作品やタペストリーにおける色彩や形のおもしろさ、間のとり方の巧みさといったら、、、!


特に、晩年にヤニナ・モンクテ・マークス氏自身が織ったというタペストリーを見た後には、素人じみていると思っていた初期の絵画にも、色彩や形状への優れた感覚の片鱗を発見し、流行の物真似にしか見えなかったポップアート調の作品は、後年の民族的モチーフに移行するまでの重要な通過点であることがわかりました。


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さらには、ヤニナ・モンクテ・マークス氏への敬意の欠如に気がついただけではなく、そもそも私が個展ができるくらいの美術館なのだから、そんなにレベルの高いアーティストであるはずがないという、自分自身の潜在意識にも気がついてしまいました。


クラウドファンディングで応援してくれた方々のメッセージや、得体の知れない日本人・長友の作品を見に足を運んでくれたリトアニアの方々の表情、そして「ケダイナイに来てくれてありがとう」と言ってくれた人の眼差しを思い出すと、いたずらに自己評価を貶めることは何の役にも立たないと気がつくのでした。


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~ヤニナ・モンクテ・マークス氏の名前について~

ヤニナ・モンクテ・マークス(Janina Monkutė-Marks)氏の長いお名前の理由を館長アスタさんから教えてもらいました。


「Monkutė」は旧姓で、「Marks」はシカゴに移住・離婚後の再婚相手の苗字だそうです。


ちなみに、館長アスタさんの本名「Asta Fedaravičiūtė-Jasiūnė」もそれと似た成り立ちで、「Jasiūnė」は夫の苗字、そして「Fedaravičiūtė」は旧姓だそうです。

結婚後に苗字が変わることでキャリアが途切れるのを避けるため、旧姓を付加したのだと教えてくれました。


クロージングイベントにて
クロージングイベントにて

・・・ちょっと難しいハナシ・・・


リトアニアの伝統的な習慣では、女性の苗字は既婚女性と未婚女性の接尾辞が異なるという特徴があります。


既婚女性の苗字は夫の苗字に接尾辞 ―ienė(または ―uvienė)を、未婚女性の場合は父親の苗字に接尾辞 ―aitė もしくは ―ytė または ―utė (または―ūtė)をつけて作られます。


つまり、女性は苗字だけで既婚か未婚か判断されてしまい、離婚する場合は再度苗字を戻さなければならないということ。


こうした苗字のあり方に不満が高まり、議論を得て2003年に法改正が行われました。今では、既婚・未婚の区別なく男性の苗字の語幹に ―ė だけを付加した苗字が登録できることになっています。


参考文献「リトアニアを知るための60章」(明石書店/櫻井映子編著)


※リトアニア滞在中のエピソードは、こちらのクラウドファンディングのページにて週一で更新しています。

 
 
 

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