なぜ友禅染めなのか

1.東京芸大での4年間


藝大の染織専攻では、2年生の後期から3年生後期にかけて、ロウケツ染め、友禅染め、紅型、シルクスクリーン、そして、織りの基本的な組織を習い、綴れ織り、二重織り、絣、フェルトなどを教わりました。その後、4年生での卒業制作へ向けて、技法を選んで自主的な制作が始まります。


4年生のとき、長年農業をしていた父が農場を返すことになり、私も農舎の片付けを手伝っていました。その中で、松の根や、萩の枝、藁といった自然の素材に触れ、これらの素材でなにか作れないかと考え始めました。調べていくうちに、バスケタリーという技法を知り、自分で採集した素材を加工してカゴ編みの作品に取り組みました。


↓萩の枝と紙(レシート)で編んだカゴ作品


カゴ編みの作品は立体に仕上げる事ができるので、新しい可能性を感じる一方で、平面作品で立体的な描写をしたらどうだろうか?という興味が湧いてきました。染色技法の中でそういった描写に適しているのは友禅染めではないかと考え、生まれたのが、次のBigbangシリーズです。


2.芸大大学院での3年間


染織専攻へ進んだ当時は、卒業後はデザイナーとして就職しようと思っていて、就職活動のためにインターンでデザイン事務所に通っていました。事務所の帰り道、デザイナーは素敵な職業だけど、私には違うようだ、と疲れた頭で考えていました。ものをつくる事を会社員として仕事にせずに、ほそぼそと、長く続けていくことが出来ないだろうかと考え始めました。


そして、そういう生き方をするのには友禅染めは最適であるように思いました。なぜなら、特殊な溶剤が必要なロウケツ染めや、機械を使うシルクスクリーンに比べて友禅染めは、小規模で、家庭内でも制作できる技法に思えたからです。


しかし、食い扶持をどうするかということが、悩みの種。アルバイトや美術の教員をしながら制作している人を見ても、自分にそうした職を続けられるイメージが出来ませんでした。とりあえず、卒業制作を終えた後、大学院へ進学。就職を先延ばしにするように決めた、進学でした。 結局、留学と大学院生活の合わせて3年間を経ても、どのように生計をたて、制作を続けるか、見通しはたちませんでした。表現したい気持ちはあるのに、先が見えないもどかしさの中で作っていたのがモノクロームの作品です。


3.卯辰山工芸工房での2年間


悩んでいても仕方がない、動かなければと思い、選んだのは卯辰山工芸工房。ここでは毎月、奨励金を受けながら、制作することが出来ます。私はここで二年間過ごしました。モノクロームの作品から、カラフルな模様調の作風に変わったのはこのとき。江戸時代の小袖「京名所模様小袖」の模作を通じて、友禅染めの魅力を次の時代に繋ぐような普遍的な作品を作りたい、と考えるようになりました。藝大にいたときに感じていた、“個性的な作品を作らなければ”という気負いがちっぽけなものに思えました。



今までにない作品に価値が置かれ、新しさや刺激が魅力の現代アートを目指していたころもありました。いまは、誰かの作風に似ていると言われても、以前のようには気になりません。むしろ、似たような作風が生まれる背景には、共通する感覚があるということだから面白い。


過去の人からも同時代の人からも学べるものを学び、100年、200年後を生きる人に伝わるものを残したいと思っています。作品を作り続けるためには、食い扶持は安定させないと、と考え、今の就職先を決められました。家族を始め、応援してくれる方達のお陰で作品作りを続けることが出来ています。